ロングブレス ― 2024/03/01
沈丁花 ― 2024/03/03
ええもん見れましたわ ― 2024/03/06
私の街で、NHKラジオ『上方演芸会』の公開収録があったので見に行ってきました。
4組の漫才のラストを飾ったのが、大木こだまひびき さん。
テンポ良くいつもの掛け合いをしていたのですが、途中ひびきさんが何度も同じセリフを繰り返して話が進まず、観客もこだまさんも一瞬 「?」。
そうです。
ひびきさんはセリフを間違えてしまったのです。
だから話が進まなくなってしまったのです。
でも、そこで慌てないのがベテランの漫才師。
自分の手の平に書いたカンペを後ろを向いて覗き込むひびきさん。
しかし、悲しいかなカンペは汗で消えてしまってて、
こだまさんはそこで失敗をまた笑いのネタにして会場を沸かせます。
なかなか見れない生の失敗を見られるのはレアなこと。
散々笑わせたあとに、こだまさんが例のだみ声で観客に向かって言いました。
「ええもん、見れましたなあ」
で、また ドッ (笑)
この部分は、放送では編集カットされてしまうのかな?
だとしたら、ほんまに ええもん、見れましたわ。
名刺 ― 2024/03/13
夫婦で出かけて誰かに会い、初対面の方だと名刺を頂く時があります。
そんな時、ほぼ100%の方が「夫」に、名刺を渡しますね。 一緒に並んでても。
そんな場面で、ある日夫が、相手の方が夫に渡しかけた名刺を、手でそっと(私の方へ)と。
その方は一瞬、え? というお顔をされましたが、私に渡してくださいました。
そして私自身、初めて気が付きました。
夫婦に1枚ずつくださることもありますが、まずは 夫。 次に 私。
差し出す側も、まずは男性に。もらう側もそれが当たり前で、何の違和感も覚えてなかったのです。
だからどうってこともありません。
何で私に先にくれないの?と 怒る気持ちも全くありません。
あと10年もしたら世の中は少しは変わってるんだろうか~ と
ふと思った出来事でした。
そしてこれは、私がイラストの仕事を始めて初めて作った名刺です。
個人情報満載で誰彼かまわず、バンバン配りまくってたんですよね。
コワイコワイ。 これも時代ですね。

初めて作った名刺は個人情報満載
景色は変わるけど ― 2024/03/16
自然に囲まれたうちの周辺にもどんどん家が建ち、景色も変わってきました。
景色が変わる寂しさはあるのですが、同時にその変わる様を(つまりは工事を)見てるのも、また別の面白さがあるのです。
去年は空き地の草むらを子どもたちやワンちゃんたちが元気に走り回ってたのに、草が刈られ丸裸の土山になったかと思うと、重機が入りどんどん建物が、まるで積み木を積み上げる様に建っていく。
それは、みるみるうちに出来上がっていくのです。
家がほぼ建つと、そのうち植栽は何が入るんだろうと想像するようになり、植栽が終わると、そうか~これをここに植えましたか、私もコレ植えてみたいなと思ったり。
ショベルカーの操作も見てるとやってみたくなったり。
何かが出来上がっていくプロセスは、モノづくりをする人間には、やはりたまらない楽しさがあるんですよね。
緑がなくなっていく残念な気持ちもあるのに、ホント矛盾してる~。
窓の外をボォ〜っと眺めて、アトリエで何をしてるんですかね 私は。

ゴォォ~ン
三寒四温とは言うけれど ― 2024/03/21
救急搬送 ― 2024/03/26
赤色灯とサイレンと母の苦しそうな顔。
祈るような気持ちで母の手を握り、真夜中の救急車に母に付き添って乗っていました。
その日夕方実家に行くと、母が何となく元気がないように感じ、食欲もあまりないので早めにベッドに連れて行って休ませました。
しばらくして部屋を覗くと寝息がしたので、ホッとしてお風呂に入り私もお布団に入ろうとしました。
が、何となく気になってもう一度部屋を覗きに行くと、か細い声で
「しんどい、、、 しんどい、、、」
これはただ事ではないと気づき、119番。
病院で検査をした結果、うっ血性心不全・心筋梗塞との事。
このまま放置すれば命は落とします。
カテーテルを入れますか?
年齢的なこともあり、リスクは色々とあります。
でも、とにかく時間がありません。 等々。
95歳の母にそれだけの事に持ちこたえる体力があるのか。
処置の途中で事切れるかもしれない。
この歳で痛い思いをさせたくない。
だけど、生きれるなら生かしてあげたい。1%でも可能性があるのなら。
でも、姉兄に相談する時間もない。
いろんな思いがよぎる中、人の命の選択を即決しなければいけない究極の場面で、責任と重圧に押し潰されそうになりながら、夫にも背中を押され、先生にお願いする事にしました。
真夜中の静かな病院の廊下。
ドアが開く音がする度、夫とハッと顔を上げ、待つこと2時間半。
心臓にステント3本入れる処置に、母は見事に耐え頑張ってくれました!
すごいすごい!
救ってくださった先生方に深く深く頭を下げ、頭を上げると
長かった夜が明け外はうっすらと白んでいました。
集中治療室に移った翌日。
面会に行き、母に事の経過を話すと、
「じゃあ、もう少し生きれるかな」
「生きれるよー!100歳まで生きれるよ。
言われた通りリハビリして家に帰ろな。ここで家に帰る準備をしてるんやで」
と言うと、泣いて両手を合わせる母。
容体が急変する可能性もあり気を許せないのですが、
あの判断は間違ってなかったんやな、と 心から安堵したのでした。
絶対帰ろうね。
実家に戻ると、あの日母がデイサービスでもらってきたお花が、リビングのテーブルの上に飾ってありました。
「アミガサユリって言うんやで。可愛いやろ」
と言っていましたが、あまり眺める間もなく入院してしまった母。
お花も母の帰りを待ってるよ。

母を待つアミガサユリ
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