2度目の脳梗塞④2025/06/02

・5月26日
母は左半身麻痺、目を開けず言葉も発せない状態でありながら、ゆっくりと右手で私の腕をさすり、ほっぺたをさすり、そして頭をなでてくれました。
これはもしかしたら、残された最後の力をふりしぼって私に「お別れ」のメッセージを送ろうとしてるのでは・・・。

・5月27日
《午前》 母は認知が入っていないので、意識がハッキリしてるうちに伝えておきたいと思い
 「お母ちゃん大好きやで~。 ほんまありがとうね。 お母ちゃんの子どもで幸せやったよ~」 と 言うと、母はハッキリと頷いてくれたのです。
笑いながら言ってるのに涙は出るし、「わ~ヤバイヤバイ」 と 立ち上がってティッシュの箱に手を伸ばし鼻をチュンチュン。
母は静かに、そんな騒がしい私のドタバタを聞いていました。

《午後》 母のどこにこんな力が残っていたのかと思うくらい、右手でゆっくりと私の左腕をさすってさすって、今度は私の右腕を探して、またさすってさすって。 
本当によく右手が動きました。

「こんなんで寝てるの、しんどくない? どうしてもしんどかったら、お父ちゃん~って呼んだらええんやで。 そしたらお母ちゃんの事大好きなお父ちゃんが来てくれるよ」  「大丈夫やで。 大丈夫。 安心してな」
母は、今度は小さく頷いてくれました。

これで、お別れかな。
握ってた母の手をそっとお布団の上に置いて、
「じゃあ、京都に帰るね」

・5月28日夜
私と交替して来てくれた姉夫婦が、父が迎えに来てくれ穏やかに旅立つ母を看取ってくれました。
兄と私は間に合わなかったのですが、最期までコミュニケーションが取れたことで思い残すこともなく、穏やかでいられたのも母のおかげです。

母の希望通り、子どもと孫に囲まれて、おじいちゃんのところに旅立つおばあちゃんを見送りました。
96歳、人生を見事に生き抜き、本当にあっぱれな母でした。


最後に・・・
自分用の母の記録として書き留めていたのですが、
このブログを読んで心配してメールをくださった方、気にかけていただいた方、本当にありがとうございました。


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母の卒寿の祝いに、兄弟姉妹みんなで編んだ 句集「みづ菜」
(みづ菜は母の俳号です)

題字・写真・編集 それぞれが担当し、私は装画を担当しました。 
大好きな野花の中に居る 母。
これが母のイメージです。
 

母の句集




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