はるかのひまわり2020/08/25


はるかのひまわりの由来

平成7年1月17日の明け方、5時46分、大きな地震が襲いました。 木造の建物は、その揺れでひとたまりもなく崩れてしまい、2階部分が崩れ落ち、1階は完全に押しつぶされていました。
はるかちゃんがガレキの下から発見されたのは、地震発生から7時間後でした。

震災から半年後、かつてはるかちゃんの家があった空き地、はるかちゃんの遺体を発見した場所。驚いたことに、そこに無数のひまわりの花が、力強く、太陽に向っ て咲いていました。お母さんはひまわりを見て、「娘がひまわりとなって帰ってきた」と涙しました。近所の人たちは、この花をこう呼びました。

『はるかのひまわり』

何も無くなってしまった町の空に、次々に咲いた大輪の花はたくさんの人を励まし勇気付けました。


          「はるかのひまわり絆プロジェクト」 から抜粋




このプロジェクトは、

はるかのひまわりを全国で育て咲かせていく過程で、

災害や命の尊さを考え、自分自身も元気をいただく。

そして、再生や復興の拡がりを願う、というものだそうです。

詳しくは はるかのひまわりプロジェクト のサイトをご覧ください。

この はるかのひまわりプロジェクト の活動をされてる知人がいて、

先日  亀岡でも そのひまわりが咲いてることを教えていただいたので、

見に行ってきました。

篠インターチェンジ近くのファミリーマート横の畑の中で、

それは元気いっぱい綺麗に咲いていました。

もし近くまで行かれることがありましたら、ひまわり、見てみてくださいね。


はるかのひまわり



はるかのひまわり絆プロジェクト



はるかのひまわり