いつの間にか ― 2024/04/24
ここんとこ慌ただしく日々を過ごしていて、気になりながらも庭を放置状態にしていました。
すると今朝、カーテンを開けると
「わたし咲いてるよ~」と言わんばかりに、ピンクのバラが風に揺れていました。
バラの初咲きです。
わたし咲いてるよ~見てね
ああ可愛い。ほんのり甘い香りもしています。
そうなんです。
この前、モミジの赤ちゃん葉っぱが出たな~と思ってたら、留守をしてる間に、もうこんなワッサワッサの渋滞状態だし、
ワッサワッサの青モミジ君
葉っぱが出なくて(きっと私の育て方がワルイ)
ちょっと可哀想な君子蘭もひそかに咲いていたのです。
葉っぱは無いけど君子蘭だよ~
周りがどうであれ、植物は健気に成長してお花を咲かせ、葉っぱは大きくしっかりしてきてたんですね。
そのまま庭に出て、茂りに茂ったバラの葉っぱの剪定や草むしりを始めました。
雑草の勢いもスゴイ! 君は手を抜いて成長してくれたらいいいのに、とか思いながら作業をしてたら、いつの間にか植物たちに癒されていたのでした。
次のステップへ ― 2024/04/17
母は入院中発熱等はしたものの順調に回復し、退院の目処が立ってきました。
しかし、もう一人暮らしはできないなと母自身が決心してくれ、サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)に入ることになりました。
と、文章で書けば数行で終わる話ですが、実は行間にいっぱいの右往左往があったのです。
母と離れて暮らしている姉兄私、3人が揃って話し合うわけにはいきません。
そこで大活躍してくれたのがグループLINEでした。今までこんなにラインのやり取りしたことないぞってくらい、よく話しましたね~。時にはLINE電話で。便利でありがたい世の中になりました。
初めて施設(施設の種類もこんなにあるんだと今回改めて知りました)を、あちこち見学して回り、ソーシャルワーカーさん、ケアマネさん、友達、私たちの家族、みなさんが親身に相談にのって対処してくださり、今に至ります。
本当に感謝しかありません。
それぞれに家庭の事情、身体の事情、仕事や諸々抱えた中でしたが、
『母に穏やかな余生を送らせてあげたい』 そこ一点にみんなの気持ちが集まった1ヶ月でした。
もう一度命をもらった95歳の母は、これから新しい生活を始めようとしています。
外出外泊が可能なので自宅にも帰れます。
また毎月母の所に通って一日いちにちを大切に、一緒に過ごしていきたいと思います。 全ての事に感謝して。
母が入院してる病院が見えてます
アンパンマン ― 2024/04/07
ギュウギュウ詰めの満員電車に乗り、背中を押されながらも耐えて立っていました。
私のすぐ前の席には、小さな女の子を膝の上で抱いた若いパパが座っていました。
だんだん窮屈でしんどくなってきたのでしょう。
しばらくお利口に静かにしてた女の子が、少しグズグズ言い始め、パパはカバンの中からアンパンマンの絵本を出してきて小さな声で読み聞かせを始めました。
しかしそれも飽きてくると、女の子は最初はつぶやくように
「ママ・・・」
次第に声が大きくなり
「ママ・・・ ママ―」
そして
「ママー! ママがいいー。 ママーーー!」(これを言われるとパパ辛いなあ。。)
と 絶叫して、大きなお目目から涙がポロンポロンとこぼれ出したのです。
パパがお菓子を出してもお茶を飲まそうとしても、もう受け入れてくれません。
さあどうしよう。
治まる気配はありません。パパひどく困惑中。
「もうすぐ降りるよ~」 と 私もなだめようと試みましたが、ママにスイッチが入ってしまってて全然ダメ。
私の後ろに立ってた若い女性も
「お菓子あるよ~」
と 腕をねじ込むようにジャガリコを差し出してフォローしてくれましたが、ダメ。(ありがとう!)
そこで、 「あ! ほら! アンパンマンがいる!!」
と 窓の外を指さしてみました。
すると次の瞬間、女の子はハッと顔を上げると窓の外を見てくれたのです。
泣き止んだ!
キョロキョロ、アンパンマンを捜す女の子。
居るはずのないアンパンマンを
「あれ? どこ行ったかなあ? こっちかな?」
と 一緒に捜す私にパパも合わせてくれて、窓の外を見ながらアンパンマン捜し。
泣く子も黙る恐るべしアンパンマン。
しかし、時間稼ぎにもタイムリミットがやってきました。
居ないとわかると、また泣きそうなお顔に。
同時に私の降りる駅のアナウンスがあり、私はここで離脱したのですが、パパと女の子の降りる駅はその次の駅。
パパ、もう一息 頑張ってね!
と 心の中でエールを送りながら電車を降りたのでした。
ネギ? ― 2024/04/03
料理に使うから「庭のネギを切ってきて」 と孫に頼みました。
ネギはひと株しかなかったので「全部切ってきてね」 とも。
しかし、待てど暮らせど孫は戻ってきません。
おかしいなぁ と思ってたところ、両手に持ちきれない程ネギを抱えた姿でキッチンへ。
・・・・ ネギ、こんなにあったっけ???
は!!
もしやそれは。
悪い予感は当たりました。
それはネギではなく、玉ネギのネギ部分だったのです。
庭に出ると、あらまあ~きれいに頭をちょん切られた玉ネギさんたちが。
手前の玉ネギさんたちは丸坊主に。奥の玉ネギさんはまだ無事でした
見た目には、ネギも玉ネギのネギも一緒だもんね。わかんないよねえ。
ごめんなさいと謝る孫に、不思議と全然腹が立たないのですよ。
「全部切って」 と言った私が、ネギの違いを教えなかった私がワルイのよ。 笑
玉ネギの収穫はまだまだ先。
すくすく育ち中の軟らかいネギさんは、その晩美味しいネギ焼きとなって食卓にあがったのでした。
救急搬送 ― 2024/03/26
赤色灯とサイレンと母の苦しそうな顔。
祈るような気持ちで母の手を握り、真夜中の救急車に母に付き添って乗っていました。
その日夕方実家に行くと、母が何となく元気がないように感じ、食欲もあまりないので早めにベッドに連れて行って休ませました。
しばらくして部屋を覗くと寝息がしたので、ホッとしてお風呂に入り私もお布団に入ろうとしました。
が、何となく気になってもう一度部屋を覗きに行くと、か細い声で
「しんどい、、、 しんどい、、、」
これはただ事ではないと気づき、119番。
病院で検査をした結果、うっ血性心不全・心筋梗塞との事。
このまま放置すれば命は落とします。
カテーテルを入れますか?
年齢的なこともあり、リスクは色々とあります。
でも、とにかく時間がありません。 等々。
95歳の母にそれだけの事に持ちこたえる体力があるのか。
処置の途中で事切れるかもしれない。
この歳で痛い思いをさせたくない。
だけど、生きれるなら生かしてあげたい。1%でも可能性があるのなら。
でも、姉兄に相談する時間もない。
いろんな思いがよぎる中、人の命の選択を即決しなければいけない究極の場面で、責任と重圧に押し潰されそうになりながら、夫にも背中を押され、先生にお願いする事にしました。
真夜中の静かな病院の廊下。
ドアが開く音がする度、夫とハッと顔を上げ、待つこと2時間半。
心臓にステント3本入れる処置に、母は見事に耐え頑張ってくれました!
すごいすごい!
救ってくださった先生方に深く深く頭を下げ、頭を上げると
長かった夜が明け外はうっすらと白んでいました。
集中治療室に移った翌日。
面会に行き、母に事の経過を話すと、
「じゃあ、もう少し生きれるかな」
「生きれるよー!100歳まで生きれるよ。
言われた通りリハビリして家に帰ろな。ここで家に帰る準備をしてるんやで」
と言うと、泣いて両手を合わせる母。
容体が急変する可能性もあり気を許せないのですが、
あの判断は間違ってなかったんやな、と 心から安堵したのでした。
絶対帰ろうね。
実家に戻ると、あの日母がデイサービスでもらってきたお花が、リビングのテーブルの上に飾ってありました。
「アミガサユリって言うんやで。可愛いやろ」
と言っていましたが、あまり眺める間もなく入院してしまった母。
お花も母の帰りを待ってるよ。
母を待つアミガサユリ
三寒四温とは言うけれど ― 2024/03/21
景色は変わるけど ― 2024/03/16
自然に囲まれたうちの周辺にもどんどん家が建ち、景色も変わってきました。
景色が変わる寂しさはあるのですが、同時にその変わる様を(つまりは工事を)見てるのも、また別の面白さがあるのです。
去年は空き地の草むらを子どもたちやワンちゃんたちが元気に走り回ってたのに、草が刈られ丸裸の土山になったかと思うと、重機が入りどんどん建物が、まるで積み木を積み上げる様に建っていく。
それは、みるみるうちに出来上がっていくのです。
家がほぼ建つと、そのうち植栽は何が入るんだろうと想像するようになり、植栽が終わると、そうか~これをここに植えましたか、私もコレ植えてみたいなと思ったり。
ショベルカーの操作も見てるとやってみたくなったり。
何かが出来上がっていくプロセスは、モノづくりをする人間には、やはりたまらない楽しさがあるんですよね。
緑がなくなっていく残念な気持ちもあるのに、ホント矛盾してる~。
窓の外をボォ〜っと眺めて、アトリエで何をしてるんですかね 私は。
ゴォォ~ン
名刺 ― 2024/03/13
夫婦で出かけて誰かに会い、初対面の方だと名刺を頂く時があります。
そんな時、ほぼ100%の方が「夫」に、名刺を渡しますね。 一緒に並んでても。
そんな場面で、ある日夫が、相手の方が夫に渡しかけた名刺を、手でそっと(私の方へ)と。
その方は一瞬、え? というお顔をされましたが、私に渡してくださいました。
そして私自身、初めて気が付きました。
夫婦に1枚ずつくださることもありますが、まずは 夫。 次に 私。
差し出す側も、まずは男性に。もらう側もそれが当たり前で、何の違和感も覚えてなかったのです。
だからどうってこともありません。
何で私に先にくれないの?と 怒る気持ちも全くありません。
あと10年もしたら世の中は少しは変わってるんだろうか~ と
ふと思った出来事でした。
そしてこれは、私がイラストの仕事を始めて初めて作った名刺です。
個人情報満載で誰彼かまわず、バンバン配りまくってたんですよね。
コワイコワイ。 これも時代ですね。
初めて作った名刺は個人情報満載
ええもん見れましたわ ― 2024/03/06
私の街で、NHKラジオ『上方演芸会』の公開収録があったので見に行ってきました。
4組の漫才のラストを飾ったのが、大木こだまひびき さん。
テンポ良くいつもの掛け合いをしていたのですが、途中ひびきさんが何度も同じセリフを繰り返して話が進まず、観客もこだまさんも一瞬 「?」。
そうです。
ひびきさんはセリフを間違えてしまったのです。
だから話が進まなくなってしまったのです。
でも、そこで慌てないのがベテランの漫才師。
自分の手の平に書いたカンペを後ろを向いて覗き込むひびきさん。
しかし、悲しいかなカンペは汗で消えてしまってて、
こだまさんはそこで失敗をまた笑いのネタにして会場を沸かせます。
なかなか見れない生の失敗を見られるのはレアなこと。
散々笑わせたあとに、こだまさんが例のだみ声で観客に向かって言いました。
「ええもん、見れましたなあ」
で、また ドッ (笑)
この部分は、放送では編集カットされてしまうのかな?
だとしたら、ほんまに ええもん、見れましたわ。
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